またまた眠れない夜
ありがたいことに、ご近所様からタルト30個の大量注文を頂き、10月の正式オープンに先立ち予行演習をさせて頂いた。
今日納めさせて頂いた焼きタルトはイチジク、ブルーベリー、リンゴの3種。


呑助のお嬢さんがいたく気に入って下さったという甘くてしょっぱいイチジクのレアチーズタルト。

そして、山の村牧場のベーコンと飛騨産アスパラのキッシュ。グリュイエールチーズたっぷりで食べ応えあります。

全5種類のタルトを朝5時からタイムテーブル横目に睨みつつ作り、苦手なカット作業もなんとかこなし、無事に納品させて頂き、ワンコの散歩をし、身体はクタクタでビール缶半分でもう飲めなくなってしまったというのに、なぜか目が冴えてしまって今夜も眠れない…。
なので、今週25日と27日のテスト営業にむけて、今日の反省点を振り返りながら色々シュミレーションやら足りない備品のリスト作りやらしている。頭と目が冴えまくっている…困ったもんだ。でも、こんな感覚、嫌いじゃない。久々だなぁ。前職で1億円の案件を任されたときも、こんな感じだったなぁ。精神が張り詰めちゃうこの感じ、ほんと、久々かも。まだこんな感覚になれることがあることに、しかもそれが仕事であることに、心から感謝したい。
ついにお店が始まる
前回ブログを書いたのが7月半ばで、気づけばもう9月半ば。怒涛の2ヶ月間。9月中になんとか店を始めたくてと必死で作業してきた。お金をかけないと決めたので、というか、かけられない状況なので、什器はすべて中古のものを探し、内装はなるべく自分で手を動かして工事費を浮かせた。

お盆が終わり8月末頃にはようやく店らしくなってきて、そこからはタルトの試作と店の開店準備に試行錯誤の毎日。



正式なオープン日は10月1日大安吉日の日にしたが、Instagramを見てくれてる近隣の方達から一足早いおまとめ注文を頂いたりして、ついに、明日、初のお客様への販売となる。緊張のためか、寝なきゃいけないのに眠れない。なのでブログ🤭
書いてるうちに少し眠気が出てきた。うん、ちょっとだけど眠ろう。そして、初の販売に向けて体力回復しよう。おやすみなさい。
大人って結構複雑だった
T氏との劇的な別れから約1カ月が過ぎた。この1カ月、そりゃあ苦しかったし寂しかった…はず…。
なのだが、ふたを開けてみると、ここ2週間くらい気付けばなんだかんだとほぼ連日T氏と顔を合わせている。というのも、大量の材木や荷物をトラックで上宝村に大移動させる必要があったり、取引先に2人して今後の体制等を話に行ったり、車に疎い私に代わってT氏が整備やら車検やらを手助けしてくれたりで、なんだかんだと予定を合わせる必要があったから。

このやけに男前なドイツ車も、エンジンがダメになって休眠状態のラパンの代車としてT氏が急ごしらえで用意してくれた。正直、ラパンの代車としてはシュッとしすぎてる風貌と機能で、日常使いの車としてはオーバースペックだし私には似合わないヨ…と何度も遠慮申し上げたのだが、縁あって我が家の2代目として抜擢された。
最初はこのイケメン君をどうやって扱ったらいいのかおっかなびっくり乗っていた私だが、T氏の手助けもありユーザー車検が無事通って2日、3日経つうちに、なんだか段々と愛着が沸いてきて、周辺の峠道を走らせるのが楽しくなってきちゃったから不思議なもんである。
さて、今日はT氏と岐阜県庁までこのイケメン君で往復6時間の山道ドライブをしてきた。2人して超頑張って取得した補助金を辞退するためである。これで先月以来なんやかやと続いていた残務処理は一段落ついた。あとは、互いに互いの道を模索し邁進してゆくのみである。往復の道すがら、そんなことを確認しあい、ともに過ごしたこの8カ月を振り返って感謝しあったりした。なんというか、儀式みたいな感じだった。別離を決めてから約1カ月かけて、互いに程よい距離感を測り、心情を整理し、ようやく落ち着くべきところに落ち着いた、そんな感じ。
今日はこれから最後の儀式である「スナック参り」だ。うん、これは我々の締めの儀式に全くもってふさわしい。ちあきなおみとか欧陽菲菲とか玉置浩二とかとか…昭和の名曲を歌いまくって明るく楽しく締めくくるゾ。大人って、なんか改めて考えると、ちょっとすごい。別離ひとつにしたって結構複雑で、結構面白い。
大きな決断に至った、でも後悔はしていない
前回のブログで蕎麦と温泉の休日を楽しんだ話を書いて、その日の夕方に起きた大事件(題して”愛車ラパンの死”)についてすぐに書くつもりだった。が、しかし、そのほんの数日後に、”ラパンの死”をはるかに凌ぐぐらいの大事件が起きて、それどころではなくなってしまった。
結論から申し上げると、T氏との公私に渡るパートナー関係を解消するに至った。
その結論に至ったのは先週6月12日のことなので昨日で丸1週間が経過したことになる。私ははじめこの決断を、「遅すぎた、もっと早く決めるべきだった」と思った。なぜなら仕事上で既に色んな材料買付や設備投資をしていたし、幾つかの取引先にも迷惑をかけるのが分かっていたから。でも、今は「仕方なかった、ここまでやってみたから決められた」と思っている。何もやらずに決断したらずっと後悔が残っただろうことも想像に難くない。
T氏の天才的な発想と行動力に魅せられるような形で2人で走りだした木製窓事業だが、今後は私は窓事業からは退き、T氏が自分の会社でゆっくりと継続してゆくことになった。私は、移住当初の計画に戻って、飛騨古川の町中で古民家をいじりながら、ささやかなお店を営んでみようと思う。会社はせっかく作ったのだから、しばらくそのまま生かしておこうと思う。いつか花開くときが来るかもしれない。
大きな決断だったが、決して日頃よくする喧嘩の勢いとか、そんなくだらないことで決めた訳ではない。お互い冷静に話し合えるタイミングを見計らってこの話を切り出したつもりだ。とはいえ、先週この話し合いをした当初は頭も心も悲しみや虚しさでいっぱいいっぱいになってしまって、毎日気持ちが浮き沈みしていた。でも、今はなんとか切り替えて、前に向かって進もうとしている。
T氏は飛騨市のお隣、高山市の上宝村に立派な山の家を手に入れたので、そこを拠点に生活してゆくらしい。しかも、私がこの古川で1人寂しかろうと、私に懐いている小さなワンコのベンジーを譲ってくれた…そう、怒っていない時のT氏は本当に心優しい、純粋で愛情深い人なんだ。そんな彼だから一緒にやっていきたいと思ったんだ。
でも、これからは、私は私で、自立して、自分のできる範囲のことを一歩ずつやっていく。今はとにかく、1日も早く生活と生計を立て直すことだけを考え、店をオープンさせることに集中しよう。

さて、ここからは超☆個人的に、とある人物に向けて書かせて頂く。
実は昨夜、T氏の7つ歳上のお姉さんと飛騨で会う寸前までいった。普段、東京に住んでいるお姉さんが富山のご友人に会いにいく途中で、上宝村のT氏宅に立ち寄るから、「姉貴に会いたいなら2時間後に上宝に来れば」と夜7時すぎにT氏から突然電話がかかってきたのだ。別れた彼氏のお姉さんに会いに行く…不思議すぎるといえば不思議すぎる展開…。どうやらT氏は我々の破局についてお姉さんにまだ話していないらしい。しかも、お姉さんはこのブログの愛読者だという…。
常日頃、T氏から長姉のE子さんを敬愛し尊敬している話を何度も聞かされていた。書道家として多忙だったお母さんに代わって台所に立ちお袋の味を作ってくれていたお姉さん。高校受験ボイコットしようとしたT氏をぶん殴って説得し、高校に行かせたお姉さん。女友達とスキーに行くときに自腹でT氏を連れていってくれたお姉さん。大学生になり京都の下宿で一人ダウンしてしまったT氏を看病しにわざわざ駆けつけてくれたお姉さん…。どれもこれも母性と愛と男気に満ち溢れている。同じく7つ歳下の弟がいる私には心の底から頷けるエピソードばかりで、いつも話を聞くたびに「一度お姉さんに会ってお話してみたい」とT氏に訴えていたのだけど、昨日までまったくその機会をもらえずにいた。
で、なぜ今? なぜこのタイミングで? 一応、T氏はお姉さんを富山まで送る車中で「つい最近(私と)大喧嘩したのでもう一緒には住まない」とジャブを打ってきたらしい。なら、まぁ、ここに書いてもいいかな…。ただ、私の目線からだと、これは喧嘩ではない。何度目かの大喧嘩でもない。これは主に仕事上の価値観の違いによる、きっぱりした”別れ”なのである。
T氏によれば、お姉さんは、このブログを読んでくださり、私とT氏との付き合い方を大層喜んで下さっていたという。それなのに、こんながっかりさせてしまう展開で本当に申し訳ない思いでいっぱいです。仕事目線になると、どうしても互いに譲れないラインがあり、何度話しても平行線だったので、これ以上一緒に事業を進めるのは良くないという結論に達しました。力不足でした。ただ、お互い、この飛騨高山で車で30分の距離で暮らしてゆきます。なので、今後もなにかあれば助け合って、良き友人としての関係を続けていきたいと私自身は望んでいます。今回は残念ながらお会いできませんでしたが、次に息子さんとこちらに来られる際は、ぜひ古川の我が家にもお立ち寄りください。その頃には小さな町の小さなケーキ屋としてこじんまりと営業スタートしていると思います。古川はとっても綺麗な町です。よろしければぜひ我が家を拠点に高山や白川郷など足を延ばして遊んでいってください。いつかふらりとお店に遊びに来てくださる日を楽しみにお待ちしています。あ、あと!昨日はほんの一瞬でしたがお電話でお話できて、とても嬉しかったです。あ、あと、もう一つだけ!もし万が一気が向いたらInstagramからのDMも心よりお待ち申し上げております。
温泉はしごと蕎麦の休日
なんと、前回のブログ更新から2カ月も間が空いてしまっていた! ここまで書けなくなってしまうとは思ってもいなかった。会社をやるってこんなに大変なことだったのね…。15年間も社長秘書をしていたのに、社長業の大変さを本当は全く理解してなかった自分を改めて知って反省しきり…。村松社長、ほんとにごめんなさい。こんな至らぬポンコツ秘書を15年間も雇って下さり誠にありがとうございました。今すぐ御礼と謝罪に飛んでいきたい、そんな気持ちになることの多い2カ月間だった。
この2カ月なにをしていたかというと…すぐには思い出せないくらい色々あったけれど、おいおい思い出して書いていこうと思う。4月から遡って…なんてやってると永遠に書けそうにないから、とりあえず一昨日のご報告から。
一昨日は自主的にお休みにして朝から温泉はしご。まずは早朝、平湯に行って神社脇の無人の温泉にチャポン。

そこから安房トンネルを超えて長野県側に行き、いつも横眼で気になりながら通りすぎていた秘湯の坂巻温泉で初の日帰り入浴。硫黄のきいた源泉かけ流し温泉で湯質は最高だし、宿の雰囲気が山小屋風でなんとも良い。談話室で昔の漫画とか読めるのも山小屋らしくてGOOD。男湯の露天風呂には小さな滝まであって、熱い湯と冷たい滝業という無限ループが楽しめるらしい笑。



ここで、温泉に2回浸かり漫画2冊読み終わるころお腹が空いてきて、遅いお昼にどうしてもお蕎麦が食べたくなり、国道158号沿いをGoogle mapで検索しながら松本方面に向かって蕎麦屋さんをかたっぱしから訪ねるもなぜか全滅(5~6軒連チャンでお休みまたは売り切れ)。もうほとんど松本ってところまで降りてきて、諦めムード漂う中ようやく1軒のお店と巡り合う。時間はすでに3時前。でも、このお店が思わぬ掘り出し物の大当たりだった。

私の父は一時期、伊那に移住して蕎麦屋をやろうと本気で考えていたくらい蕎麦打ちが得意なので、実家では2、3年前までは手打ちの十割蕎麦を好きなだけ食べることができた。でも、そんな父も齢80歳を超え、蕎麦打ちの体力がなくなってしまった。巷には美味しい蕎麦屋さんは数あれど、お店の蕎麦ってざるの底が透けてみえるくらいお上品な盛りで、実家で父の手打ち蕎麦をたらふく食べられていたのはなんと贅沢なことだったのか…とつくづく思い知っていた今日この頃。
が!昨日のこのお店、なんと見てください、このメニュー表。150g~500gまでお蕎麦の量が選べるの!しかも十割!天ぷら5品付き!もちろんワサビは本わさび!また個性的なのが、お蕎麦屋さんなのにつまみメニューがそんじょそこらの居酒屋以上。



私は200gにしたけどペロッと食べ終わったので、次回は250gにしてみようかな♪ 店内には落語家さん達の色紙がびっしり。なんでも松本の演芸場に出張に来た落語家さん達がわざわざ運転手つきの車で通って来られるんだそう。ここは松本インターに乗る前の立ち寄りスポットとしてメモメモ…📝
実は、この日は最後にすごい大事件が起きたんだけど、これ書き出すと猛烈に長くなるのでまた次回に。とりあえず、放置気味だったブログ、ようやく復活しました。これからはもそっとこまめに書いていきます。
会社をつくったご報告

先週、会社を設立しました。
昨年飛騨に移住してきたときから2025年4月には会社設立する予定だったのが、ついにそれを実行する日がやって来た。設立の日までやること満載で、しかも法人登記の当日まで本当にうまくいくのか気が気でなく(実際、電子申請手続きが途中でエラーになったりしてかなり焦ったし)頭が実務的なことで一杯になっていたので、当日夕方、公証役場で無事に定款を受け取る際に「今日から社長さんですね、頑張ってください!」と言われて、うわぁ~コレほんとなんだぁ~、と実感がなさすぎて思わずビックリしてしまった。
それと関係あるかないか不明だけれど、実は、私は先月頭あたりプチ鬱っぽかった。朝から晩まで胸に何かつっかえてるみたいで食欲がなく、やらなきゃいけないことは満載なのに何からどう手をつけていいか分からなくなり、自信もなくなり、なにかというと涙ぐんで、そんなのがしばらく続いていて、「あれ?自分なんか変だよね?」と思ってT氏が北海道に発つその日に自己申告した。わたし、たぶん今プチ鬱ぽいです、でもそのうち元に戻ると思うんでごめんなさい、と。その頃、私がかなり挙動不審だったのでT氏はあっさりと納得し、「無理しないで少しゆっくりしたほうがいい」と気遣ってくれながら出発した。

で、T氏が約3週間ぶりに飛騨に帰ってきた今月頭、不在中の嬉しい出来事やおかしい出来事を報告しながら、自分がいつの間にかウツぬけしてたことに気づいた。というか、1カ月前にプチ鬱っぽかったことすら忘れていた。その位、大型犬2匹と飛騨で留守番していた3月中は、創業計画書やら事業計画書やら収支計画表やら資金繰表やらとひっちゃきになって格闘し、それらを握りしめて銀行の門を叩き、その合間に木材仕入れをしたりで毎日必死だった。そんなわけで、いつウツぬけしたのかはよく分からない。
今振り返って思えば、3月頭の私は、無暗矢鱈と怖がっていたのかなぁと思う。やったことない、未知のことばかりを目の前にして、動き出す前にびびっていたのかなぁと思う。でも、色々と期限が決まっているから強制的に動かざるを得なくて、独り黙々と粛々と手と頭を動かしている内に、いつの間にかその強い不安から脱していたように思う。やる前は、何に怯えてるのかも分からぬまま無暗に怯えていたけれど、やりだしてみたら次に何をどう改善したらいいのか少しずつ見えてきたし、それらを改善するたびに周りの反応が変わっていくことが励みになっていった。
兎にも角にも、苦しかった先月の格闘がようやく報われたらしく、昨日、いま一番聞きたい言葉を一番言ってほしい人達から聞けた。ようやく少し肩の荷が下りてホッとした。まだまだこれからなので1㎜も油断はできないけれど、ようやく、スタート地点に立てた気がしている。
そんなわけで、私はなんとか元気です。
追記 スローモーションになるんだね
昨夜のトホホな事件のことで一つだけ絶対書いておきたいことがあって、それは、瀬戸川に落ちる瞬間、はっきりとスローモーションだったこと。
あれれ〜落ちちゃうよ〜うわ〜💦
うそでしょ〜💦
ドボン!
って感じ。
よく漫画で事故の瞬間がスローモーションに描かれる、まさにあんな感じだった。
走馬灯は見えなかった。走馬灯は死ぬほどの事故とかじゃなきゃ見えないもんなのかな。だとすると走馬灯見たよ、と自慢できることは稀だろう。私の場合、まだ死ぬまでにやりたいこと沢山あるから、走馬灯じゃなくてスローモーションで済んで良かったのかもしれないな。